わが町
わが町2009年

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12月13日(日)
● げんげ
私はげんげが好きだ。幼い頃、げんげのすまし汁が食卓にでてきた。白身の魚でちょっとヌルヌルしている。母はこの魚が嫌いだとか。おそらく祖母が料理していたのではないだろうか。母が完全に料理を作るようになってからは、あまり食卓にはでなくなった。私が都会に出たせいもあってか長い間、食したことは無くすっかり忘れ去っていた。ところが10年ほど前に富山の居酒屋で「げんげのこぶ〆」があって口にしたところこれがものすごくおいしくて感動したことがあった。それから地元の居酒屋・なべっこでげんげのから揚げや、スーパーで買った丸干しを焼いて酒の肴にするようになった。今年の2月には居酒屋・万両でげんげのにぎり寿司を食べた。(げんげを刺身にして出す料理屋は珍しい)。昨日、居酒屋・徳利へ行ったがメニューを見なかったせいもあるが、「あんきも」を期待しすぎていてげんげを注文しわすれてしまった。残念。 好奇心旺盛な方なので今度はあなごやうなぎの刺身を食してみたい

* げんげは富山湾でとれる深海魚です。意味は外道の外か下等の下。つまり「下の下」だそうである。「幻魚」とも書く。genge
12月5日(土)
● 防火帯建築
久しぶりにわが町について考えてみた。中央通りの防火帯建築のことである。「魚津大火の記録」の中で気になる部分があった。
~ 元の場所での再建をあきらめ町内からでてしまった人もいる。市役所からは、鉄筋コンクリートにすれば火事に強いし雪下ろしはしなくても良い、また隣と一緒に造ると安上がりになるからと、長屋造りを強く勧められた。こうして我が家は6軒続きの鉄筋コンクリートの長屋になった。大きな借金をして建てたので近所では「借金コンクリート」と呼んでいた。しかし、1年も経たないうちに湿気で押入れの布団にカビが生え、畳も天井も地図を描いたような状態になった。そのうち雨漏りもしだし、湿気がこんなにひどくなるとは予想もできなかった。更に雪下ろしはしなくても良いといわれた屋上が、豪雪時に雪の重みでへこんでしまい、屋上にいつも水が溜まるようになった。今は応急処置でしのいでいるが、隣との境界である柱と壁が共有のなっているため、改築も思うようにいかず、壊すに壊せない状態になっている。隣近所も防火帯建築に関してはもてあましており、将来のことが不安である。防火帯建築も50年近くも経てば負の遺産のようなもので、建てたときの経緯からも壊すときも市が積極的に関与して、住みやすい町にしてほしいと思っています。(当時18歳の女性)~

実は私が生まれた時の家も木造長屋造りであった。壁も柱もお隣さんと共有していた。幼い頃、隣の子と壁の穴からお菓子を貰ったりあげたりしていた事もあった。私が11か12歳の頃に引っ越したためこの人のような状況にはならなかったのだが。この防火帯建築は今で言うと「欠陥住宅」に該当するであろう。更に、住むのがいやになって出て行ったとしてもこの物件は売れないだろう。どれだけの価値があるだろうか。固定資産税もかかっているのでは?これは個人で解決できない問題である。先送りできない問題であることは間違いない。このままでは人が住まない街となってしまう。市の勇気ある決断が望まれる!
9月8日(火)
●  献花
以下、新聞記事より
~ オウム真理教(現アーレフ)による坂本弁護士一家殺害事件で犠牲になった
都子(さとこ)さんの父親、大山友之さんらが7日、都子さんの遺体が発見された魚津市二ケの僧ヶ岳林道沿いに建つ慰霊碑、慰霊柱を訪れ、献花でめい福を祈った。~
7月22日(水)
● 金山(きんざん)
NHKの夕方の番組で魚津市の金山が紹介された。室町時代から昭和初期にかけて使われたらしい。松倉地域にあり坑道が残っているという。へえ~知らなんだあ~。
以下、魚津市ホームーページより抜粋。
~~ 江戸時代の魚津地域の行政は、魚津城代が新川郡を統括していましたが、一国一城制により魚津城が廃城となり、1660年魚津町奉行がおかれることになりました。
 当時の加賀藩にはドル箱として越中7金山がありましたが、そのうちの3か所は魚津市にあり、重要な金の産出地という恩恵にあずかることになりました。最も大きな金山は松倉金山で、発見は1394年ごろと伝えられています。 ~~
椎名氏が運営しているサイト→ 松倉城と椎名康胤    
 6月26日(金)
● 沈む夕陽
夕陽が綺麗だったのでパチリ。能登半島が見えます。    夕陽1    夕陽2
6月19日(金)
● 魚津市の未来
やはり税収をいかに増やすかだ。老人が増え、若い人もなかなか増えない現状からして税収を増やすのは難しい。大企業が地元に来てくれれば良いのだが・・・ 観光地としても弱い。中央通り、文化町の商店街はほとんどがシャッターを降ろしている。私が思うに、地元の顧客をねらう商売はたかがが知れている。現在はインターネットの時代だ。この通信網を利用して地元以外の顧客を狙うしかないだろう。あとは農産物、水産物、果物の全国販売の強化。魚貝類の養殖もあってもいいんじゃないかなあ。若い人達が地元に根づいてこれらの商売に励んでくれるのを望む。そのために政治家の皆さん、市民の皆さん、よろしくお願いします。私もできることであれば力になりたいと思います。
海があり山があり食べ物もおいしい。都会に10年ほど暮らした経験があります。それと比べたら魚津はいいところです。好きです魚津。ああ、昭和30年代の電鉄魚津駅前、文化町、中央通り、鴨川町が懐かしい。
6月13日(土)
● 魚津市民の歌
市の住民は「魚津市民の歌」をどれくらいの人が知っているだろうか。私も小学生の頃に歌った覚えがある程度ではっきり覚えていない。確か後半は
♪♪ ~~ 五万市民の力を合わせ 心一つに躍進めざす ああ市民の意気を見よ ♪♪
だったような?

富山県民の唄は
♪♪ 仰ぎ見る立山連峰 朝空に輝くところ 躍進の 理想かざして 高らかに 生産の歌
声そろえ 声そろえ 共にうたわん 共にうたわん
ああ われら われら富山 富山県民

調べてみると、こんなサイトがあった。http://www.pref.toyama.jp/gaiyou/song.html
6月12日(金)
● 能登半島
今日は久しぶりに能登半島が見えた。でもやはり雲がかかっている。もっとはっきり見える日もあるのだが。能登半島
6月4日(木)
● 
わが町の写真を掲載します。海上より1海上より2富山湾
5月31日(日)
● モニュメント
ついこの間、海の駅に行ったら駐車場に訳のわからない石像が建っていた。聞いてみたらモニュメントで何千万も費用がかかったらしい。確か、わが町の財政累積赤字は3XX億円と聞いていたのだが?こんな物を建てる余裕があるの?この像がお金を稼いでくれるの?市民や観光客の目を楽しませる企画は良いのだが優先度を考えてほしい。モニュメント裏側モニュメント正面
5月30日(土)
● 全日本大学女子野球選手権大会
我が家から徒歩で30分位の山の上に桃山野球場がある。毎年、全国の大学から女子野球選手が集まり熱戦を繰り広げる。今年(第23回)は8月21日(金)~26日(水)で行われる予定です。無料です。これが去年行われた決勝戦の写真です。ラストバッターゲームセット整列応援ありがとうございました

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げんげ
防火帯建築
献花
金山沈む夕陽
魚津市の未来
魚津市民の歌
能登半島

モニュメント
全日本大学女子野球選手権大会

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